個人見学者はまずアウシュヴィッツIの入り口にある建物に入ります。元は新規入所者の手続き等をした事務的な建物だったようですが、ここには売店や食堂、トイレなどの施設もあり、そのへんはごく普通です。入場時はセキュリティチェックがあります。中でヘッドセットを受け取り、ガイドと集合、入場します。
この日のガイドはWojciechさんという男性でした。スタディツアーのグループは20人未満。やはりアメリカ人が多かったかな。意外と若者も数人いました。ガイドの説明がマイクを通してそのグループのヘッドセットにだけ聞こえる形式なので、たくさん人がいてもガイドが大声を出さずにすみますし、部屋の中で複数グループが入り混じっても動くタイミングで声をかけてもらえるのでとてもスマートです。ただこのシステムは広大すぎるビルケナウでは使えないようです。
ガイドのヴォイチェフさん。静かな語り口で解説してくれた。 |
建物を出て、鉄条網を横目にいよいよ、Arbeit macht Freiのゲートをくぐって施設の中に入ります。
で、敷地を見てまず思ったのは「なにこれふつう…」っていうことでした。煉瓦造りの2−3階建ての建物が数列に渡って整列しています。二重の鉄条網や監視塔がなかったら「素敵」って思えるくらいの光景です。アウシュヴィッツIはポーランド軍の居住バラックだった施設を接収転用したものなので、建物が「マトモ」なのです。何も知らずにふらっとここのあたりの建物見て回ったら「そんなにひどいと思えない」可能性さえあります。これはとても怖いこと…だからこそガイドツアーの必要を特に感じる次第です。
バラックの建物は改装され、それぞれ「絶滅とは」「収容者の生活」などのテーマを持った展示となっています。一つ一つの展示を全部ここで振り返りはしませんが、特に書いておきたいものに触れておきます。
ガス殺に使用された「殺虫剤」ツィクロンBの空き缶 |
クレマトリウムの模型。選別された人々は地下室に導かれ、ガス殺されたあと地上の焼却炉で焼かれる。 |
初めの展示「絶滅」ではどのようにして絶滅収容所が作られたかの歴史が語られていますが、改めて地図上でオシフィエンチムの位置とヨーロッパ各地からの「移送」の流れを見ると、極めて合理的効率的にこのポーランドの地が集積地として選ばれていることがわかります。
ここではツィクロンBの実物や領収書、そして爆破されて今は見ることができないビルケナウのクレマトリウム(ガス室と焼却炉が一緒になった施設)の模型などもみられます。
そしてやはり圧巻なのは、「犯罪の証拠」と題された展示。ユダヤ人たちから奪った物品の「山」。食器などの生活用品、眼鏡、名前の書かれたカバン、靴…
特に目を引いたのは赤いサンダルでした。夏のおしゃれな靴、どのような気持ちでこの女性はこれを履いてここまで連れられてきたのか…
後述しますが、ドイツ軍は撤退する際に金品を備蓄していたビルケナウの「カナダ」棟を焼却していますので、いったい100万を超えると言われる犠牲者からどれほどの物品が奪われ蓄えられていたのかと改めて戦慄します。もちろん、ここには残されなかった貴金属(金歯含む)や布地の材料として使われていた大量の毛髪の事は言うまでもありません。数メートルのショーケースいっぱいに積み上げられた毛髪は70年の年月を経て白髪化し痛んでいました。この髪の持ち主たちは2度殺されたのだと言えるかもしれません。
廊下いっぱいに貼られた初期の囚人たちの登録写真もありました。アウシュヴィッツの初期はポーランドの政治犯やソヴィエトの捕虜が中心でしたので、きちんと登録されて労働に従事させられたわけです(その後、写真撮影はなくなり、囚人の腕に番号を刺青するようになっていきます)。しかしながら、若くて頑健な男性や女性たちの、収容から死亡までの月日の短さに愕然とします。多くは1年以内に亡くなっています。
収容所内では撮影禁止の場所が二箇所だけあって、それが上述の毛髪の部屋と、ブロック11の収容所監獄の地下牢です。starving cell, 座ることのできないstanding cell…何を目的ともしない拷問と殺害のための工夫が凝らされた独房の数々。コルベ神父が収容され殺されたのもこの建物の中でした。処刑場である中庭には、受刑者を立たせる「死の壁」。銃弾が跳ねないよう吸収性の素材で作られています。この「効率の良さ」が徹頭徹尾恐ろしい。
そして、圧巻だったのがこのBook of Names。約600万人と言われるホロコースト犠牲者の、名前のわかっている人の出身地やなくなった場所などがわかる限り記されているそうです。この白いものが全部ページで、未だに名前が追加され続けています。
廊下いっぱいに貼られた初期の囚人たちの登録写真もありました。アウシュヴィッツの初期はポーランドの政治犯やソヴィエトの捕虜が中心でしたので、きちんと登録されて労働に従事させられたわけです(その後、写真撮影はなくなり、囚人の腕に番号を刺青するようになっていきます)。しかしながら、若くて頑健な男性や女性たちの、収容から死亡までの月日の短さに愕然とします。多くは1年以内に亡くなっています。
ブロック11の中庭。 |
そして、圧巻だったのがこのBook of Names。約600万人と言われるホロコースト犠牲者の、名前のわかっている人の出身地やなくなった場所などがわかる限り記されているそうです。この白いものが全部ページで、未だに名前が追加され続けています。
時が止まったようなブロック3の廊下 |
その他展示について細かく言及することは避けますが、スタディツアーだけ特別に見せてもらったブロック3のことを書いておきます。前述の通りアウシュヴィッツのバラックは改装されてミュージアム機能を持っているのですが、この建物は戦後すぐに施された塗装等を全て取り除いて、1945年当時の状態を再現・保存されています。混み合った敷地内でひっそり静まり返ったその空間はまるで時が止まったかのような息苦しさでした。
鉄条網を取り払った通路から外に出ると、塚のような盛り上がった構造物があり煙突が出ています。そこが、武器庫だった建物を利用した小さなガス室と焼却炉です。ここでは初期の1年弱、主にソヴィエトの捕虜に対するガス殺と焼却が行われましたが、ビルケナウが完成してからは使われなくなりました。だからこそここが残り、復元されているのですが、ここのみをもってガス室とはを語ってもならないのだと思います(そして、ここのみをもってユダヤ人の虐殺を否定しているのが歴史修正主義者たちです)。
ミートボール、じゃがいもと紫キャベツ添え |
ここまで見ておよそ3時間、30分ほどのお昼休憩をとってビルケナウへ移動します。
入り口の建物に食堂、外にも売店があり軽食が食べられるようになっています。
このような場所で食欲が出るのかとも思いますが、やはり普通にお腹は減り、そして意外にもなかなか美味でありました… (続