2020年5月26日火曜日

プラハ・聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂

プラハのおまけ

プラハ最終日に、プラハ新市街にある教会を訪れました。
英語で言うとSaints Cyril and Methodius Cathedral という正教のカテドラルです(ネットの日本語記事などだと教会と書いてあることがあるのですが同じ名前の教会も別にあるみたいです)
カテドラルといってもそんなに大きなものではありませんが、ある事件において有名になりました。

階段の下に地下室への扉がある


その事件とは、ラインハルト・ハイドリヒ暗殺事件。「アンスロポイド作戦」と呼ばれたチェコのレジスタンスによるこの作戦は近年映画(邦題「ハイドリヒを撃て!」)にもなりましたのでご存知の方も多いと思います。1942年5月27日、ホロコーストの初期「ラインハルト作戦」の発案者でもあり、ボヘミア地方の総督として全権を握って「プラハの虐殺者」と呼ばれたナチ幹部ハイドリヒをレジスタンス軍のパラシュート隊員たちが暗殺した事件です。このレジスタンスたちが、暗殺後に追跡を逃れて最後に立てこもったのがこの教会です。
ハイドリヒ暗殺現場も時間が許せば行きたかったのですがちょっとはずれにあったため今回は断念。


まず教会の側面にあるこの一角に目が留まります。この弾痕の後も生々しい細い窓がこの教会の地下聖堂の明かり取りの窓です。ナチの兵士がここから地下に潜んだレジスタンスたちを銃撃し、最終的にはこの窓から水を流し込みました。記念プラークが付けられています。

ろうそくが供えられている

事件の年を記録する床のタイル
まずは大聖堂の中に入ります。もちろん礼拝の場として現在も使われていますので、内部は修復されここには当時の激しい戦闘を感じさせるものはほとんどありませんが、この上階のアーチの部分にもレジスタンス兵が潜み、この空間でも激しい銃撃戦が繰り広げられました。





外へ出て、入り口階段の下にある扉から直接地下室へ入ることができます。
ここはアンスロポイド作戦に関するミュージアムになっています。

レジスタンスのパラシュート隊員たちをかくまった聖職者たち

ナチの差別政策に使われた肌の色チャートや黄色い星

中心隊員のひとり、ガブチクの身分証 

作戦に使用されたパラシュートやレプリカの爆弾

隊員の所持品

隊員が使用した銃、ブリーフケース。教会に残されていたもの。

彼らをかくまったことで収容所に送られた女性がテレジンで作った刺繍

当時の教会の調度品
ミュージアムの奥にある鉄の扉を開くと、隊員たちが潜んでいた地下聖堂に入ることができます。教会とは違って、ほぼ当時のままタイムカプセルのように残されています。思いの外広く、全体がレジスタンスたちに対するメモリアルとなっています。
人のいない所を見計らって写真を撮りましたが、それなりにコンスタントに見学に訪れている人たちがいました。


上には、教会内へ繋がる扉

もともとここにあった墓石

教会へ続く階段。ナチの兵士がここから突入してきた

ひとりひとりの胸像と紹介プレートが置かれている
表から見える明り取りの窓。

銃痕が生々しい

このくぼみは、彼らが脱出のために掘ろうとしていたトンネルの痕跡

カテドラルの入り口のところに記念碑が一つ立っています。
この事件の後、ナチはパラシュート隊員たちをかくまった教会関係者や民間人を逮捕、司教を始め3名が処刑、263名が逮捕されて収容所送りになりました。彼ら勇気ある人々を記念したメモリアルです。


大きくはない教会ですし、旧市街からも遠くないので、プラハを訪れた際はぜひ立ち寄ってみてください。

余談
この教会の近くには有名な「ダンシング・ビル」がありますので行かれた際は一見の価値はあるかと。


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