2020年5月26日火曜日

プラハのユダヤ博物館

プラハ滞在中に、プラハ市内のユダヤ地区(Josefov)を巡りました。
プラハには中世からゲットーがありましたが、ヨーゼフ2世時代にゲットーを廃止したことにちなんでこのエリアをJosefovと呼ぶようになったそうです。それ以降はユダヤ人はプラハの中心部に移り住むこともできるようになり、繁栄しました。「ユダヤ博物館」がこの地区に1906年という早い時期に設立されたのもそのためであったと思われます。貴重な宝物や資料の数々はきちんと収集保存されていたことでナチ時代を生き延び、現在にかつての栄華を伝えています。

プラハのシナゴーグは多くがテーマに沿った博物館となっていて、共通チケットで巡ることができます。スマートフォン用のオーディオガイドなどもありました。

このような感じでたくさんのシナゴーグがあります


まずは、13世紀建造の最古のシナゴーグである「旧新シナゴーグ」。名前の由来には諸説あるそうですが、ヘブライ語のעַל תְּנַאי (al tnay=条件つき)を、イディッシュの "alt-nay" と混同したものだと言う説が面白いです。伝説によればエルサレムの寺院の石を天使が持って来てここにシナゴーグを立てよ、ただしメシアが再来した際に石は戻すこと、という条件をつけたということです。
伝説といえば、このシナゴーグの天井にはゴーレムが眠っていると言う伝説もあります。

その屋根裏にはナチも入れなかったという…?


この小部屋みたいなものは金庫だったそう
次に訪れたのはCeremonial Hall。墓地の隣にあり、葬儀を行う組合のあった場所です。中の展示は病気や死、葬儀のシステムなどについて



医療や葬儀についての書物、瀉血に使う器具など

窓からは墓地が見える
その隣にあるクラウセンシナゴーグは現存する最大のシナゴーグで16世紀創建(現在の建物は再建)。中ではユダヤ教の儀式に使う宝物等が展示されています。


豪奢な銀製のヘッダーがついたトーラー(聖書)の巻物

トーラーポインター(Yad)
16世紀の実業家マイゼルが建てたというマイゼルシナゴーグ。現在の建物は19世紀の再建で、21世紀に入って改装され、中世以降のプラハのユダヤ人社会の主に繁栄の歴史をたどるミュージアムとなっています。


修復により真新しい華麗なファサード

豊かな文化を伝える展示
そして、ピンカス・シナゴーグへ。この小さな建物は中でも特別なシナゴーグです。元は16世紀にホロヴィッツという一家の礼拝堂として建てられたものですが、現在はチェコのホロコースト犠牲者のためのメモリアルとなっています。壁一面に、チェコで殺された8万人の犠牲者の名前と生没年が地方ごとに書き込まれています。

壁一面にびっしり書き込まれた名前

赤字が苗字、そのあとに家族の名前が続く
礼拝堂の大きな空間の壁は、プラハの犠牲者の名前で埋め尽くされています。他の地域の名前は入口のホールや二階部分にあるのですが、プラハが半分近いのではないかと思います。この名簿や、一部展示の内容などをウェブサイトで見ることができます。



祭壇横には、犠牲者が殺された場所の名前が
この名前の記載も、川沿いにあるための浸水事故などによる改装でやり直されており、一部に戦後すぐのメモリアルの文字が残されています。
なお、写真は撮らなかったのですが、この2階にある展示室ではテレジンゲットーで子供達が描いた絵を見ることができます。


戦後すぐに書き込まれた文字
シナゴーグの外には「移送」に付いての展示。10代くらいの男の子がお父さんにしがみつきながら見ていたのが印象的でした。


この奥にある扉からからユダヤ人墓地へ入ることができます。ここには18世紀のゲットー解放までの死者が埋葬されており、土地が限られていたために何層にも渡って墓が積み重なっているのだそうです。新しい層を積み重ねるたびに墓石だけを上に上げるので、墓石が最上層にひしめいています。
そのため、様々な時代ごとの様式の異なる墓を見ることができます。18-19世紀の廃墟趣味の時代にはここで散策やデートをするのが流行ったとか…






ピンカスシナゴーグの建物が見える 


ゴーレム伝説で知られる16世紀の高名なラビ、レーヴの墓。この時代は裕福な人や高位の聖職者は建物城の墓に埋葬されました。彼の墓に願い事をすると叶うと言うことで、小さな紙に書かれた願い事が小石とともに乗せられています。
小石や紙が乗せられたレーヴの墓

つい最近になって、プラハ旧市街の石畳がユダヤ人の墓石で作られていたことが調査で明らかになりました。共産主義時代に行われていたことのようです。戦後もつづく差別の根深さを感じます。
https://www.bbc.com/news/stories-46845131

スペイン・シナゴーグの手前にプラハ出身のフランツ・カフカの像が立っています。カフカはナチ支配より前に亡くなっていますが、妹エリとヴァリはウッチのゲットーで亡くなり、オティリーはテレジンからアウシュヴィッツへ送られて殺されています。

「ある戦いの記録」に登場する頭のない男に乗ったカフカ

足元にはあの虫
スパニッシュ・シナゴーグは、スペインのムデハル様式を踏襲して作られているためその名がつきました。19世紀中葉に建てられたムーアリバイバルと呼ばれるものですが、クラクフのテンペルシナゴーグとよく似た豪華な金色の模様装飾が圧倒的です。この時代のユダヤ人たちの繁栄を象徴する建築といえます。






このシナゴーグの中では18世紀末以降のこの地区の歴史が展示されています。内装の壮麗さとは裏腹に最も暗い歴史の部分です。短命に終わったチェコスロバキア共和国ではユダヤ人の権利は認められており独特の文化が花開きましたが、ナチスドイツのチェコ侵攻と共に終わりを告げました。

テレジン・ゲットーで使用されたゲットーの無価値な通貨。日本軍の軍票のようだ

余談ながら、ヨゼホフ地区は元々はゲットーであったため、差別地区がありがちなことですが川沿いの低い土地にありました。18世紀以降にかさ上げなどの整備がされて、その境界にあった通りが「パリ通り」と名付けられて、現在は高級ブランド街となっています。中世の面影を残す街並みから突然違う世界が広がるので驚きます。

エルメス…


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