川を渡り、橋の上から施設の方を振り返って見ました。右上の教会の隣が施設なのですが、木に隠れて見えません。NHKの番組で、「当時は木が低くて建物が見え、煙が上がっているのが見えた」と証言していた方がいたのを思い出しました。
余談ですが、ハダマーへの中継地となるリンブルクはこの近辺ではおそらく一番大きな街で広場にはカフェやレストランも多く、カールシュタット(デパート)などもあり、乗り継ぎ時間が空いてもそれなりに潰せます。
16時近くなり、列車も復旧しているようでしたので、イトシュタインで途中下車してみました。ここにあるカルメンホフという施設が、ハダマーへの移送の中継地となり、またこの施設で子供の障害者がやはり数百人虐殺されています。
ここについては英語の情報が少ないのですが、詳しくはこちらのページをご参照ください。
駅から坂を下って10分ほど歩くと緑豊かな敷地が現れます。カルメンホフは子供のための病院施設だったようで、こちらも現在も使われています。広場は公園のようになっていて、子供たちが遊んでいました。
仕方ないので、敷地の裏手から街の墓地を目指します。ここに虐殺についてのプラークがあるとのことだったのですが、なかなか見つからずぐるぐる回ってしまいました。
カルメンホフの方向から入ると少し坂を下ったところに、街の戦没者を記念する一角があり、そこの壁にプラークがありました。
「全体主義下で価値がないとされた600名の犠牲者のために」とある |
海外でなくなった戦没者の墓地 |
なんだか、日本の高級住宅地のような新しい戸建てが並んでいました…
これも余談ですが、イトシュタインの旧市街は古くて美しい建物がたくさん並んでおり、ちょっとした観光地でもあるようです。フランクフルトに戻るために急いで帰ってしまいましたが、ゆっくり時間を取れば楽しめるかもしれません。
結局、朝の運休により色々乱れていたようで、復旧したと思っていたREがやはりSバーンの駅までしか行かない、遅延、等々あって帰りもかなり時間がかかってしまいました…何事もなければ1日で2箇所余裕を持って回れるところではあると思います。
T4作戦はドイツの国内で行われた虐殺であり、訪問することでそのことの恐ろしさを改めて感じると共に、だからこそキリスト教会や一部世論の反発を受けて曲がりなりにも中止になったのでもあると感じます。ユダヤ人に対して、ドイツの外側で行われた虐殺については、誰も声をあげなかった…そのことも忘れてはならないでしょう。
と同時に、つい3年前に全く同じような思想による凶行が行われた国、つい20年前まで優生保護法なる法律があった国の人間として、これは全くもって過去のことでも他所のことでもないということを改めて切実に感じました。
ある日ふといたはずの人の姿が消え始めたら。
郊外の高台で、不審な煙が上がり始めたら。
何ができるだろうか、そしてそうならないために何ができるだろうか、ということは常に考えていかなければならないと感じます。
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