2018年4月9日月曜日

沖縄陸軍病院南風原壕群20号 2

黄金森のふもとにあるセンターから壕までは1本の道が通っています。
「飯あげの道」
この道の少し下にあったという井戸=炊事場から、毎日ひめゆり学徒隊の少女たちが10キロほどの飯を背負って、病院壕まで丘を一つ越える道を往復していました。ただでさえも大変な重労働ですが、それが、降り注ぐ艦砲射撃や爆撃の中で行われたのです。

今は手すりなどもつき大半が舗装されている「飯上げの道」

階段になっている部分も。

一度登り切ると下り道になる。この辺りは当時のまま舗装がされていない。

今は緑に覆われているが、当時は爆撃で枝や葉が飛ばされ、危険にさらされていた
坂を下った拓けた所に、現在は平和を祈念する鐘と憲法9条の碑が立っています。

この場所で改めて9条の意味を反芻する

壕の入り口で入場料を支払い、ヘルメットと懐中電灯を借ります。誰も一緒の方がいなかったので、ガイドさんとマンツーマン。300円で申し訳ない限りです。
さて、壕に入る前に、ひとつ選択があります。この記事でも紹介されている「再現された壕の中の匂い」です。ちょっとひるんでいたのですが、実は直前まで風邪を引いていて鼻が詰まっていたので、なんとかなるだろうとお願いしました。
匂いは、小さなアロマオイル瓶のようなものに入っていてさらにガラス瓶で密封されていました。案の定あまり強烈には感じずほっとしたような残念なようなだったのですが、あらゆる匂いと暑さまでが感じられるようなむわっとした匂いでした。

壕の中は照明が一切なく懐中電灯のみですし、多くの人が亡くなった所なのでほとんど写真は撮っていません。

入り口付近に展示されていた医薬品類。驚くほど保存状態がよい。
 壕の中はこの季節にしてはやはりむっとするものの、基本的に乾いていましたが、ここの岩は砂岩が多く、沖縄戦の頃は雨水が浸透してきて大変ジメジメしていたとのこと。壁が黒くなっているところは火炎放射器の焼いた跡です。落盤を防ぐ坑木が左右に組まれていたそうですが、それも真っ黒に焼け焦げています。
また、戦後南風原の人々が何もない中で家などを再建するための木材を求めてこの死臭に満ちた壕に入り、寝台などの木材を持ち出したそうで、中身はほとんど遺されていません。
遺された坑木
他の壕と繋がる横穴と交差するところが「手術場」となっており、少し広い空間にテーブルを置いて「手術」というか主に手足の切断を行なっていました。この模様は映画などで見たことはあるものの、今静まり返った何もないこの空間で当時の様子を想像することはなかなか難しい。ひめゆり学徒隊の休憩スペースがやはりこの横穴にあったそうですが、とても眠れたものではなかったと言います。

で、砂岩は大変崩れやすい岩ですが、ひとつ非常に残念なことが…
手術場の少し先の天井に「姜」という文字が刻まれており、それが朝鮮人兵士のものなのではないかという話を事前に聞いていたのだがなんとその文字無くなってしまったのだそうです。最近背の高い高校生がぶつかってしまい、天井が崩れてしまったのだという。確かに私のような160cm程度の者でも時々ヘルメットが天井に当たるほどの低さなので、今時の男子高校生であれば当たらない方が難しいのでしょうが…無念です。

この縦の壕を抜けることができるようになっている。右に「姜」の文字の在りし日の写真が。

奥の方はこのように補強されているところも多く、やはり上から滲みた水滴が たくさんついていた
外へ出ると、まだ夏よりは優しい日差しにつつまれ本当にほっとします。自然のガマに比べると格段に歩きやすく楽だとはいえ、やはりこの狭い細い壕に2000人の傷病兵が詰め込まれていた状況は本当に想像を絶します。
センターの展示にあった、撤退時に青酸カリを飲まされて辛うじて生き残った方の証言をふと思い出しつつ壕を出ました。

入り口を撮りそびれたので出口の写真を。どちらもかなり補強・修復されている。
帰りに立ち寄った、同じ黄金森にある「慰霊祈和之塔」。これは元は戦死者を祀る「忠魂之塔」だったもの。


帰りは那覇市内までバスで。本数は非常に少ないのですが、30分ほどで着きます。バスが来るまでに「飯上げの道」の起点まで辿ろうと思ったのですが時間が足りず、井戸は見つけられませんでした。しかし、一箇所建設工事をしていたところがあり、明らかに道の続きであろうと思われる狭い土地が囲いの外に避けてあったところまでは見ることができました。
文化センターの方へ、道路の下をくぐって続いている「飯上げの道」

全体で2-3時間もみれば見学できますし、センターの展示も非常に見応えがあるので、那覇から足を伸ばして行く価値は十分にあるところだと思います。
この壕は、壕としては初めて街が文化財指定したものだそうです。南風原町の、激戦地としてのふるさとを語り継ぐ姿勢がはっきりと感じられました。

詳しくはNHKの証言集などもご参照ください。

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