2018年4月9日月曜日

沖縄陸軍病院南風原壕群20号 1

2018年3月
先日家族旅行で沖縄に行って来たのですが、家族が先に帰って1人の時間が数時間あったので、こちらを訪ねて来ました。沖縄陸軍病院南風原壕群20号
ひめゆり学徒隊が看護隊として勤めたことでも知られる陸軍病院の南風原壕。陸軍病院は当初那覇市内にあったものが南風原国民学校へ移転し、さらに米軍上陸を間近にした1944年の3月、その近隣の黄金森という丘に20余の横穴壕を掘ってそこに移動しました。現在、このうちの20号壕が整備され公開されています。
見学にはガイドが必要で要予約。メールで申し込んだところすぐに折り返し電話がきて予約することができました。

空港からはタクシーで30分ほど(2500円程度)でしたが、壕を見学すると運転手さんに話したところ妙に感心してくれ「私も昔研修を受けたりしたんですよ」とこの本を見せてくれました。

80年代の本で情報はかなり古いのですが、戦跡だけでなく基地問題にまつわる場所等も詳しく紹介してありこれまで見た戦跡ガイド類より詳しく、南風原陸軍病院壕も含めて詳細に解説してありました。平和学習用の資料のようですが、沖縄のタクシーの運転手さんはやはりこういうことを知っているのですね。運転手さんは「普通に本屋で売っている」と言っていましたが、後から調べたところ90年代に新版が出てそれきりのようで、後日そちらを古書店から取り寄せました。

さて、おかげで予約の時間ぴったりに南風原文化センターに到着。まずは文化センターの展示を見学します。これが、町の文化センターの展示と思ってナメていたらかなり内容の濃いものでした。
まずは陸軍壕の内部を再現したものから始まります。本物よりだいぶ広々とスッキリして見えてしまうのは残念ですが、(あまりリアルでない)簡素なマネキンの横に具体的な証言描写が掲示してあるなど考えさせる展示になっています。

実際に寝棚を経験してみることもできます。寝っ転がると上にも解説が。マネキンは1体しか置いていないですが、実際には二人寝ていたようです。
様々な証言も読むことができますが、この壕の撤退時に動けないものは青酸カリを飲まされたという話、なんと青酸入りのミルクを飲んで生き残った方の証言がありこれは衝撃でした。

そして、皇民化政策と教育についての展示から海外移民、沖縄戦、戦後の生活へと展示が進んでいきます。ローカルな資料や証言を元に時代そのものを見つめる展示内容は詳細で明確。

学校に設置されていた「奉安殿」のレプリカ。まだ現物が残っている学校もあるという。


生徒たちが最敬礼を求められた「奉安殿」に収められていたものは何かというと、御真影と、そして「教育勅語」なのであります。結局沖縄戦の可能性が高まると北部に集められ焼却されたといいます。 「教育勅語」とはどういう存在だったのか、これを崇める人々がまだいることに改めて背筋が寒くなる思いがするのです。

教科書のレプリカは手にとって読むことができる。
人々の生活の中に軍とともに入り込んできた「慰安所」
近隣に設置された「慰安所」をめぐる記述。ここの慰安所では辻の遊郭の女性たちが働かされていたということで、昨年の渡嘉敷などの状況と比較するに、あえて離島に朝鮮人慰安婦を配置したのではないかと思えます。いずれにしても「この人間ならば兵士に提供して良い」という、戦後の「米軍向け慰安所」に繋がる発想が見えます。
沖縄戦の銃痕が残る町内の壁の実物

沖縄の戦後はフェンスとともにある

戦後の「マチヤグヮー」の再現がよくできている。手前はガスボンベを使用した警鐘。
もう1室の展示は沖縄の人々の伝統的な暮らしを紹介。伝統家屋や遊び道具を再現し、体験しながら学べるようになっています。暦や年中行事、迷信なども知ることができます。

写真を撮っていなかったのでリーフレットから。遊びは実際に体験できる。

中でも印象的だったのはこの位牌。これは本物の位牌で、沖縄戦で破壊された民家から米兵が持ち出し、戦後仏様の身元がわかったものの親族は皆亡くなっていたため、街が保存しているのだそうです。
ビデオなどを省略してこれでも1時間弱かかりました。

改めてセンターの外へ出て壕へ向かいます。
(続

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