ワルシャワ滞在3日目、国鉄で2時間ほどの街、ルブリンへ行きました。この街は中世にポーランド・リトアニア連合王国の中心となった古都で今も美しい旧市街が残っていますが、いくつかの負の歴史でも知られており、ひとつにはナチスドイツ占領後「ラインハルト作戦」の本部が置かれ、ベウジェツやソビボルでのユダヤ人絶滅の中心となったこと、アウシュヴィッツと同様の絶滅兼強制収容所であるマイダネク収容所があったこと、そしてソヴィエトによる「解放」後、共産主義政権「ルブリン政府」が置かれたこと、などがあります。
今回はどうしてもKL Lublin(こちらがドイツによる正式名称)を見学したく、旅程を調整して行ってきました。
ここの何が特別なのかというと、1944年の夏のうちに解放され、その年のうちに博物館として一般公開された、つまり世界初の強制収容所博物館であるという経緯があること。ドイツ軍の敗走が早かったため、アウシュヴィッツのようにガス室や焼却炉の証拠隠滅をすることができず、実際に絶滅作戦のために稼働していたガス室や焼却炉が唯一そのまま残っているということ、があります。
ここの何が特別なのかというと、1944年の夏のうちに解放され、その年のうちに博物館として一般公開された、つまり世界初の強制収容所博物館であるという経緯があること。ドイツ軍の敗走が早かったため、アウシュヴィッツのようにガス室や焼却炉の証拠隠滅をすることができず、実際に絶滅作戦のために稼働していたガス室や焼却炉が唯一そのまま残っているということ、があります。
かわいらしい鉄道駅 |
バスに揺られて15分くらいでしょうか、まず目に飛び込んでくるのは広大な敷地と門を模した巨大なモニュメント。ちょうど、収容所の門があった位置にあります(これが見えてきて、他の観光客の人と一緒にバスをおりたら入り口はもう1つ先の停留所でよかった、というくらい広いのです…行かれる方は、これが見えてきて直近ではなく次まで待ちましょう)
Feld3の片隅に、居住バラックではない一角があります。
左側の建物が、新着の囚人が通る「風呂」、右手前のレンガの建物がガス室です。中を見ることができます。
風呂の入り口にはBad und Desinfektion と書いてあります。
囚人たちはシャワーを浴び、薬品風呂に入れられて機械的に「消毒」されていきます。
左側の建物が、新着の囚人が通る「風呂」、右手前のレンガの建物がガス室です。中を見ることができます。
風呂の入り口にはBad und Desinfektion と書いてあります。
これは本物のシャワー |
…シャワー室の次にある部屋に入った時、一瞬怯みました。
壁や天井にある青緑色の染み。
ちょっと待って心の準備ができていないんだけど!?と一瞬軽くパニック。
そして嫌という程見覚えのある缶の山。
実は、ここは衣類の消毒室でした。本来殺虫剤であるシアン化合物「ツィクロンB」を使うと時にこのような青緑の痕跡が残ります。言うまでもなくアウシュヴィッツ等のガス室で大量殺人のために使用されていたものでもあります。しかしよく見たらこの部屋は木造に漆喰で密閉性もあまりありませんし、そんなはずはなかったのでした。
この青緑の痕跡がどのようにして残るのかについては諸説あるようですが、鉄分と反応するという説が強いようです。
しかし、このような近い場所で、本来の殺虫剤としての使用法と、人間に対しての使用法を両方行っていたというのはそれまたどう言う神経なのかと改めて戦慄します。
いよいよ、ガス室の建物に移ります。
壁や天井にある青緑色の染み。
ちょっと待って心の準備ができていないんだけど!?と一瞬軽くパニック。
そして嫌という程見覚えのある缶の山。
実は、ここは衣類の消毒室でした。本来殺虫剤であるシアン化合物「ツィクロンB」を使うと時にこのような青緑の痕跡が残ります。言うまでもなくアウシュヴィッツ等のガス室で大量殺人のために使用されていたものでもあります。しかしよく見たらこの部屋は木造に漆喰で密閉性もあまりありませんし、そんなはずはなかったのでした。
この青緑の痕跡がどのようにして残るのかについては諸説あるようですが、鉄分と反応するという説が強いようです。
しかし、このような近い場所で、本来の殺虫剤としての使用法と、人間に対しての使用法を両方行っていたというのはそれまたどう言う神経なのかと改めて戦慄します。
いよいよ、ガス室の建物に移ります。
この建物のガス室は3つあり、2つが見学できますが、1つはソビボルなどと同じく一酸化炭素を使用していたということで青酸の痕跡がありません。
この建物のすぐ近くに、到着したユダヤ人の「選別」が行われた広場(Rosenfeld)がありました。生かされた人々は風呂に、殺される人々はガス室に。
(続く)